開発
出典: CappuccinoWiki
版間での差分
66 行 | 66 行 | ||
東京モーターショーを取り上げた当時の深夜番組「11PM」に自動車評論家の徳大寺有恒氏が出演し、「スズキの社長が発売すると言っていた」と発言したことから市販に向けて開発が進んでいくこととなる。 | 東京モーターショーを取り上げた当時の深夜番組「11PM」に自動車評論家の徳大寺有恒氏が出演し、「スズキの社長が発売すると言っていた」と発言したことから市販に向けて開発が進んでいくこととなる。 | ||
翌日に収録された所ジョージの番組に出演したスズキの開発チームの社員が「昨日イレブンで社長が言ったから発売されるんでしょうね」と言っていることから、社員も発売されるとは考えてなかったことが伺える。 | 翌日に収録された所ジョージの番組に出演したスズキの開発チームの社員が「昨日イレブンで社長が言ったから発売されるんでしょうね」と言っていることから、社員も発売されるとは考えてなかったことが伺える。 | ||
+ | |||
+ | |||
+ | |||
+ | == 量産車開発 == | ||
+ | |||
+ | 89年の東京モーターショーから次回東京モーターショーまでの間に市販することが決定したが、軽自動車の規格が、排気量が550ccから660ccに、車格サイズが一回り大きく変更された時期に重なったため、約1年6ヶ月の間に急ピッチで量産車開発が行われた。<BR/> | ||
+ | 開発のポイントは、前後重量配分をいかに50:50にもっていくかということと、全高を含めて限りなく低くすることがポイントとなった。<BR/> | ||
+ | そのため、エンジンはフロントアクスルの後方へ、バッテリーはエンジンルーム後端へ、ガソリンタンクをリヤアクスル前方へとし、ドライブシャフトをフロアトンネルを高く持ち上げて着座位置を低くすることはボディ剛性を上げることにも繋がった。<BR/> | ||
+ | その間、ホンダはトゥデイのボディシャーシをそのままに、エンジンをミッドシップにレイアウトした「ビート」を先んじて発売する。<BR/> |
2009年3月7日 (土) 15:26の版
目次 |
プロジェクト
- 1987年に開発コードネーム「U.L.W P-89(ウルトラ・ライト・ウェイト・スポーツ プロジェクト89)」でプロジェクトがスタート
- マツダがAZ-1でガルウイングを採用するとの情報が入り、それに負けないインパクトが求められたことから、屋根の開発が決まっていった。
プロトタイプ
開発時の車重の目標値は450kg。そのため各パーツは軽量パーツをふんだんに使って開発がすすんだ。
- 構成パーツと重量
- ボディシャーシ(CFRPカーボン・ファイバー製)
- カーボン・モノコック・ボディ 48.0kg
- アウターパネル(カーボン・テミクロン製)
- ボンネット 5.1kg
- フロントバンパースポイラー 2.5kg
- リヤサイドパネル 7.8kg
- トランクリッド 1.5kg
- スカットル 3.1kg
- ロールバー 2.1kg
- ドア 1.4kg
- ドア・インナー 1.4kg
- インテリア
- インストゥルメントパネル 2.8kg
- コンソールボックス 0.5kg
- リヤシェルフ 1.8kg
- ボディシャーシ(CFRPカーボン・ファイバー製)
- 機構部品
- エンジン
- アルトワークスのF6Bツインカムターボエンジン(547cc:64ps/7500rpm:7.8mkg/4000rpm)を縦置きに変換
- ピストンはFRMピストン
- 駆動系
- キャリーのミッション
- キャリイのデフ
- サスペンション
- 4輪独立ダブルウィッシュボーンサスペンション(アルミ鋳造製)
- フロントアッパーアーム 1.3kg
- フロントロアアーム 2.05kg
- リヤアッパーアーム 1.25kg
- リヤロアアーム 2.1kg
- ダンパーユニット プリロード可変式 Koni8811
- 4輪独立ダブルウィッシュボーンサスペンション(アルミ鋳造製)
- ブレーキ
- キャリパー
- フロント カルタス1300GT-i用
- リヤ アルト用
- ディスクローター
- アルト用
- マスターバック
- アルト用
- キャリパー
- その他
- 逆アリゲーター式ボンネット・ヒンジ
- サイズ
- 全長3195mm
- 全幅1395mm
- 全高1120mm
- 車重480kg
- ホイールベース2060mm
- トレッド1220mm
- タイヤサイズ165/60R14(ポテンザRE71G)
- エンジン
発売決定秘話
東京モーターショーを取り上げた当時の深夜番組「11PM」に自動車評論家の徳大寺有恒氏が出演し、「スズキの社長が発売すると言っていた」と発言したことから市販に向けて開発が進んでいくこととなる。 翌日に収録された所ジョージの番組に出演したスズキの開発チームの社員が「昨日イレブンで社長が言ったから発売されるんでしょうね」と言っていることから、社員も発売されるとは考えてなかったことが伺える。
量産車開発
89年の東京モーターショーから次回東京モーターショーまでの間に市販することが決定したが、軽自動車の規格が、排気量が550ccから660ccに、車格サイズが一回り大きく変更された時期に重なったため、約1年6ヶ月の間に急ピッチで量産車開発が行われた。
開発のポイントは、前後重量配分をいかに50:50にもっていくかということと、全高を含めて限りなく低くすることがポイントとなった。
そのため、エンジンはフロントアクスルの後方へ、バッテリーはエンジンルーム後端へ、ガソリンタンクをリヤアクスル前方へとし、ドライブシャフトをフロアトンネルを高く持ち上げて着座位置を低くすることはボディ剛性を上げることにも繋がった。
その間、ホンダはトゥデイのボディシャーシをそのままに、エンジンをミッドシップにレイアウトした「ビート」を先んじて発売する。